常用漢字表

郵便局に荷物が届いているということで、昼休みに受け取りに行った。ハノイにいる教え子のHさんから、頼んであった「常用漢字表」が届いたのだ。

授業で、学生たち全員に手渡し、使い方を説明した。
これ、東京の品川にあるメコンセンターが作ったモノなのだけど、日本の常用漢字の字義をベトナム語で記し、更に日本語の音訓も紹介、画数からもベトナム語からも引ける優れもの。日本語教師・努くん式指導には必携の一品なのだ。

箱に入った「ブツ」を持って教室に入ると、「なに?」と興味津々の学生たち。
早速、みんなに配ると、しばし沈黙。そして、、、わぁ〜と大歓声。

まあ、そりゃねえ、難しくてわけわかんなくておぼえたくないしかきたくもよみたくもみたくもない「漢字」が、ベトナム語で説明してあるのだから(笑)

あまり詳しく書くと、一応「企業秘密」というか、僕なりにベトナム人学生に教えるときに工夫して、実践してきたことを全部書いちゃいそうなので書かないけれど、「漢字は徐々に慣れれば良い。あまりウルサク言うと、漢字アレルギーを起こすからダメだ」って言う業界的一般論に対して、真っ向から反対はしないけど、別の考えは持っているので、僕的に相応な時期にコレを持たせてしまうのだ。

そして、常に持たせて、使わせてしまう。
宿題や、予習をしていない学生には冷たい僕も、授業中にコレを取りだして格闘を始める学生には、授業の進行を停め、笑みを絶やさずに待ってあげるのだ。そして、「あ〜、わかった!」と実感した学生の笑みを見るのが、快感なのだ。

僕が、コレに初めて遭遇したのは1998年9月のこと。東京・杉並の某予備校で、初めて受け入れたベトナム人看護師養成支援事業(今後、「ベト看」と書きます)の2期生の乙女たち3名。そう、手擦れで汚れ、ちぎれかかった1枚の表。当時のコレは日本でしか入手できなかったらしい。また、当時は冊子じゃなくて、1枚のポスターの様だった。元々が同じ漢字文化圏とはいえ、漢字を放棄させられて久しい国の乙女たちが、異文化をこじ開けるパスポートとして持っていたのが、コレだった。彼女たちに東京都立の看護専門学校受験に必要な、古文も含めた国語を教えなければならなかった僕は、目から鱗が落ちる思いでコレを手にしたのだ。

漢字なんか、そもそも知らないんだから、「暗記」じゃなくて、意味や音訓や、あわよくば書き順や画数も「結果的に」覚えてしまえばいい。
初めて見た字を、画数を辿って引いてみる。出てこなければ書き順が間違っていると疑ってみる。目指す漢字にたどり着いて、ベトナム語の意味と、音訓に触れてみる。一連の作業の中で、漢字が表す要素の全てに触れることができる。いたってシンプルな話である。

まして、ベトナム語の語彙は、漢越語、つまり日本語と同じように中国古典語を語源とする言葉が多いのだ。当然、字義を知っていれば語彙を類推しやすいし、同じ意味、音もよく似た熟語が多く存在する。だから、コツさえ掴めば、ベトナム人の漢語習得は決して難しくはないのだ。
(と、考えると…フィリピンやインドネシアからの看護師、介護士候補者のみなさん、受け入れている病院、施設の方々、支援者のみなさんのご苦労は、より大きいことがわかる。だって、漢字文化圏じゃないんだから。)

あ、そうなんだ〜って、思えればそれでいい。
看護学校や、大学に進んでから。そして看護の現場に立ったときに、「暗記じゃなくて、理解しながら覚えて良かった」と思ってくれればそれでいい。
例え「受験のための、暗黒の思い出」、僕の印象が「漢字にうるさい、嫌な先生」であったとしても。
僕はそうやって、今日まで12年間、ベトナムの学生と接してきた。

EPA(2国間経済連携)でインドネシアやフィリピンから、看護師や介護士候補の方が多く日本に来ている。しかし、今のところ看護師国家試験のEPA経由の合格者は、僅か3名に留まっている、そんな事実を背景に、現在看護師国家試験の問題見直しや、難読漢字にルビを振るという「対策」がなされようとしている。でも、そんな小手先の「対策」は根本の解決にはならないと、僕は考えている。

「暗記だけさせたって、使えないよ…」

昨日、うちのNPOの事務局長から、「インタビューを受けて、サイトに掲載されたよ」と連絡が入った。
医療介護のCB newsさんと言うサイトなのだが、「外国人受け入れで「省庁横断的な支援組織を」というインタビュー記事の中で、うちの事務局長が

「例えば「ずじゅうかん」と聞いても、看護を学んだことのないわたしには何のことか分かりませんが、「頭重感」と漢字で書くと、意味が分かりますよね。難読漢字にルビを振っても、日本語の単語が頭に浮かばないと意味は理解できません。むしろ「頭」「重い」「感覚」という日本語を理解していれば、「頭重感」という単語を知らなくても意味が取れるというのが漢字の利便性ですから、わたしは「床擦れ」を覚えるより「褥瘡」という専門用語を覚える方が試験には近道だと、よく皆さんに話しています。」
https://www.cabrain.net/news/article/newsId/30669.html

と、答えている。そう、そう言うことなんですよ。
これは、看護の専門用語だけの話じゃない。日本語のキーワードの8割は漢熟語なんだから。
だから、時間はかかるし面倒だけど、1字1字、辞書を引く。いや、常用漢字表をひいてみる。苦労して、探してみればいい。その内、知っている字が増えてくる。

僕が大学2年の時、師事し、お仕事をお手伝いさせていただいていた教授が、アルバイト代の代わりにと「大漢和辞典」を買う費用を工面してくださった。諸橋轍次博士とそのお弟子さん、孫弟子さんたちの漢字研究の集大成である。ちょうど刊行された「修訂二版(普及版)」における大改訂にも携わった、教授と同じ研究室の助教授が「著者価格」での購入を発刊もとの大修館書店にお願いしてくださった。
約5万字の漢字が収録されている。載っていない漢字なんて、ない、、、、と思った。でも、それでも大漢和に載っていない漢字は存在する。例えば、栃木県の足利学校の側にある「鑁阿寺」の「鑁」である。

でも、今日「常用漢字表」を手にした学生たちが、今必要とする漢字は、全てこの表の中に載っている。
ま、来年の9月からの「介護」の学びに必要な漢字は、「話は別」なのだけど。


さて、長くなっちゃった。今回、ダナンに来る前にハノイで「常用漢字表」を仕入れてくるつもりだったのだけど、いつも置いてあるチャンティエンの本屋街で見つけることができず、ダナンでもあるかな…と淡い期待で来たのだが、見つからず。ハノイの秘書や教え子に捜査指令を出しておいたのだけど、教え子のHさんが見つけてくれた。

1冊、14,000VND。35冊送ってもらったので、送料込みで500,000VND弱か。
振り込むから銀行口座を教えるようにメールしたら、

「お金は次回、先生がハノイへ来られましたら、お寿司でもおごって下さい。^^(半分真顔、半分冗談です。^^)ダナンの学生さんにプレゼントとさせてもらいたいです。」

と、返信が来た。彼女もそう、一番弟子Hもそう、、、、そして、ハノイの秘書も異口同音に言う。

「この表を見ると、先生を思い出します」

どうせ、気分が良い思い出じゃないはずだ。それでも、僕はかまわない。
でもね、そのあまり良い思い出じゃない「常用漢字表」を、今日本語を学ぶ、まだ見ぬ後輩たちに「プレゼントしたい」とは、嬉しいじゃないですか。

ちょうど、1週間前に授業で「あげます」「もらいます」を学んだ彼女たちに、僕は語りかけた。
「ハノイのHさんは、あなたたちに「常用漢字表」というモノはあげません。漢字を勉強する「気持ち」をあげました。わかりますか?」

学生たちは、嬉々として自分の名前を漢字に置き換え、日本語の音読みや訓読みで互いの名前を呼び合い始めた。
そして、「先生、わたしたちは、Hさんに、日本語で、手紙を書きます」と言い出した。

彼女たちに、きっと先輩の「気持ち」が伝わったはずだと、信じている。


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