ありがとう (11月10日夜の話)

11月10日(日)の夜。

この日の朝、東京・八王子の自宅に戻った僕は、夕方から、ある焼き鳥屋へ向かった。最近、何も予定がない日曜日は、ここである人と時間を共にしている。

考えてみれば、3年前にダナンへ出発したときも、朝まで共に過ごし、この言い方は語弊があるな(笑)共に飲み、八王子駅で見送ってくれたのも彼女だし、何度かの一時帰国の際も、帰ってきて最初に会うのも、離日前夜に飲むのも、いつも彼女だった。

出会ってから、もう何年だ?6年?7年?

「歳をとっても飲み仲間でいよう」とは言っていたけれど、それ以上のことは何もなかった。でも、2010年8月27日の朝、八王子駅での、彼女の突然の言葉は嬉しかった。

ベトナムへの赴任は何の抵抗もなかったけど、初めてのダナン、初めての「日本人の同僚なし」はじめての「0初級スタートの日本語教育」、インドネシア・フィリピンのEPAの、必ずしも成功とは言えない現状を踏まえて、「ベトナムは絶対に失敗できない」というプレシャー

いつになく動揺していたのであろう僕に、「独り身で待っていればいいの?」と彼女は呟いたのだった。

その時の僕は、「いや、そんな失礼なことは言えないよ」と応えたのだが、本当は、ね(笑)

契約は1年だけど、1年で帰ってくる気はさらさらなかったわけだし。

そもそも、ダナンの北国のトンちゃんに最初に会った時も、まあ、髪型と顔の輪郭だけだけど、「あれ、(彼女に)似てる」と思ったわけであり(笑)

さて、話を焼き鳥屋に戻そう。

1週間前、僕たちは同じ場所で、日本シリーズの最終戦を見ていた。
大阪近鉄が消滅して以来、「何を今更、阪急?オリックス?そんなチーム応援できるか!」とバファローズを自分の中では封印し、ひたすら、弱かった頃の近鉄の思い出と被せながら、楽天イーグルスを応援してきた。

だから、東北の震災云々ではなく、「近鉄が読売に勝って日本一になる」という、今となっては絶対に果たせない夢を、楽天にかけていたのだ。

だからこその、日本一の瞬間の落涙であったのだが、、、、、この人は「泣くようなこと?」と、不思議そうに笑ったのだ。ったく「今回は、勝って欲しいね」と言っていたくせに(笑)

「日本シリーズ見たのが先週だったなんて、嘘みたいだなあ」

「泣くとは思わなかった(笑)」

しつこいっての!


ここで、僕は初めてあの時のお礼を言った。

「3年前さあ、出発したときに八王子駅で言ってくれた言葉、覚えてる?」

「うん。」

「ありがとう。本当はね、嬉しかったんだけど、、、」

「だってさ、あの時、本当に不安そうだったんだもん。このまま行かせちゃダメだと思って(笑)でも、ちゃんと帰ってきてくれて、ありがとう」

「うん。」

「ずいぶん、浮気してたみたいだけど(笑)」

「それは言わない約束」

「黙ってたけど、ブログはチェックしてたから」

「あ、そうなの?(笑)」

「北国の子、元気だったの?」

「ご懐妊だって」

「あ、そうなんだ。でも、よかったんじゃない?いろいろな意味で」

「ま、これでダナン日本語教師生活、完結だな」

「お疲れ様でした。」

ちなみに、鞄の中に残っていた、ダナンのビール「ラルー」は、彼女へのお土産となった。
もちろん、「シルクの小物入れ」に入れて。


と言うわけで、今日の記事は全て実話です。

これで完結できれば美しいんだけど、もうひとつお伝えしなければならない記事があります。次回の更新で本当の最終回です。
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