4回目の七夕

あれから4回目の七夕の日が巡ってきた。

「全体の流れや、事務的なことはNさん(現在のNPO法人の常務理事)、教育のことはあなたに任せるから」と言って、自分はさっさと鬼籍に入っちゃった、協同組合(現在のNPO法人の前身)の理事長だった別府さんの命日である。

別府さんに出会ったのは1997年の8月末のことで、当時東京の予備校で「看護・福祉・医療技術系コース」を担当していた僕のところへ、「ベトナム人看護師養成支援事業」で来日した看護学校受験生の受験指導について、相談に来てくれたことがきっかけだった。

そして2000年には最初のベトナム・ハノイでの赴任生活、その10年後からは、ここダナンにいるのだから、人生なんてわからないものである。

ベトナム人看護師養成支援事業が2004年の入試(8期生)で募集を終了し、その次のステップを考えていた別府さんは、時には夢のような、時には現実的な「夢」を語り、「後は任せた」とばかりに後継者を指名して、さっさと逝っちゃったのだから、勝手な人である(笑)

「組合内部はもちろん、支援病院、ハノイや日本で教壇に立ってくれた先生たち、もちろん学生、関わってくれた全員が、ひとり他の人であったとしても、この事業は成り立たなかった」とはNさんの言葉であるが、そもそも、別府さんがいなかったら、外国人の看護師を日本で養成するという発想はなかったはずだし、ベトナム人看護師養成支援事業がなかったら、インドネシア・フィリピン・ベトナムの「EPA 自然人の移動」による看護師、介護士の養成も実現しなかったであろう。

先駆的な事業だったから、様々な困難があって、そのひとつひとつを一緒に乗り越えてきた者のひとりである、、、という自負心が僕にはあり、だからこその、ダナンでの介護士養成という先駆的事業にも関わることができたのだと思う。


今朝の朝日新聞「天声人語」で七夕が話題になっていて、「織り姫と彦星は、実は既に結婚していて、1年に1度しか会えない恋人同士ではなく、引き裂かれた夫婦なのだ」という「意外な常識」が紹介されている。
七夕の話は、古代中国・漢代の書物「文選」に採り上げられている「古詩十九首」出てくるのが、文献としては最も古いと言われている。中国の小学校の教科書にも取り上げられている話で、なんで恋人の話になっちゃたのかはよくわからない。

でも、その方が浪漫ちっくだがらなんでしょうね。


今日は、日本語能力試験。

旧2級以上に85%以上の高合格率を誇ったベトナム人看護師養成支援事業の日本語教育の伝統は、ダナンの学生にもしっかり受け継がれている「はず」である。

別府さんは時々、夢の中に出てきて、相変わらず夢みたいな話、、、、はしてくれなくて(笑)
2010年の今日、「ほらね、僕が言ったとおりになったでしょ?」と夢枕に立ったのを最後に、
ニヤニヤ、いや、ニコニコしながら何か言いたそうに微笑むだけで、何も言ってはくれない。

きっと今日は、ニコニコしながらダナンの学生たちの「日本語能力試験」受験を見守ってくれているに違いない。

別府さん、ダナンで受験している2期生、3期生だけではなくて、1期生がハノイでも受験してますからね。ハノイもお忘れなく(笑)

3年前、僕がNさんから「ダナン赴任指令」を受けたのは、別府さんが夢枕に立って「僕が言ったとおりになったでしょ?」と微笑んだ、その翌朝のことだった。


今夜、Nさんがハノイでのお仕事のついでに、ダナンまで足を伸ばしてくれる。
「何しに来るの?」と尋ねると「あなたの見舞いに決まってるでしょ!」とNさん。

きっと、最初に言われていた「3年」の終了を労って、別府さんが慰労会を開こうとしてくれているんじゃないのかなあ(笑)


この写真は、ベトナム人看護師養成支援事業の8期生の、看護学校全員合格を祝っての慰労会。新宿・初台にある別府さんの親友がマスターのお店の前で。
中央の白髪の男性が別府さん。一番右端に僕がいて、その左隣がNさん。
2004年3月撮影。


今夜は別府さんに「献杯」である。


別府さん、大好きな芋焼酎で乾杯したいところですが、、、
僕は飲めない身体でして、、、、と嘆く筆者と
今、この時間に「日本語能力試験」に挑んでいる学生たちに
バナークリックでの激励をお願いいたします。
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