一期一会

意外と知らない人も多いと思うのだが、僕は学生時代に居酒屋でバイトをしていた時期がある。
学生時代が長かったのと、専門が基本的に「文献研究」だったので、予備校のアルバイト代は当時の大学生のアルバイト代としては大きかったのだけど、ほとんどが本代に消えていた。つまり食えなかったのだ。(飲めなかったとも言う。)

居酒屋のバイトは、オイシイ。まかない付きなのだ。しかも、マスターが歴史好きで、よく店が終わってからビールを飲み、焼き鳥をつまみながらエジプトや中国の話をしたものだ。

そして、常連のお客さんにもよくしてもらった。
もちろん年齢差があるのだけど、学生としてではなく、ひとりの人間として付き合ってくれたし、僕も先輩的感覚で甘えさせてもらった。

「自分の後輩に返せよ」と言われながら、よくご馳走してもらったものだ。

だから、自分が大人として学生と接する年代になった今も、僕は学生世代の若者と付き合ったり、お酒を飲んだりするのが大好きなのだ。


さて、ダナンに来てから何人かの日本人と知り合い、多生なりともお付き合いがある。
その中で特に印象的だったのが、新潟方面の大学からダナン工科大学へインターンで来ていたYくんだった。海外の大学で半年間過ごし、日本へ留学するベトナム人学生の日本語学習を手伝うことが、大学院進学の要件のひとつなのだそうだ。

まあ、見た感じは今風の学生さんなのだが、素の自分の感覚を失うことなく何事にもチャレンジする姿勢が気持ちよかった。
ちょっとだけ怪しい店に潜入してみたり、元旦にはいつもの日本食屋「K」で鍋を食べ、日本から持ち込んだ餅を入れて新年会をしたこともあった。

彼はほとんど自費でダナンにやってきて、学生寮に住んでいた。日本人がいない環境は、僕と同じである。しかも、初ベトナムどころか、初の海外渡航だと言うのだ。テトも一時帰国せず、ベトナム人学生の実家に行っていたというのだから。兵(つわもの)である。漢(おとこ)である。ちょっと羨ましかった。

だから、と言ってはなんだけど、「10万ドンコース」と言って、一緒に飲み食いした総額のうち10万ドンを彼が払い、残りは全部僕が払うという飲み方を、何度かしたことがある。

「後輩に返せばいいよ」と、僕が先輩に教わった言葉を話しながら。


そんな彼が、昨夜帰国した。
これから来年の卒業、大学院進学に向けての準備に入るらしい。

帰国前にもう一度会いたかったのだが、時間が合わず残念だった。
それでも、きちんと挨拶のメールをくれた。

「何かの縁でこうしてお会いして、お酒を飲める仲になり、一期一会に感謝です。
こんな一学生の相手をしてくださって本当にありがとうございました、楽しかったです。
またどこかで・・・ダナンで?(笑)再会することができたら、また一緒にお酒飲ませてください!」と。

いやいや、こんなおじさんの相手をしてくれたことに、僕の方から感謝の気持ちで一杯である。


そしてもう一人、先日偶然知り合って、僕の日本語クラスを見学しに来てくれたMくんという大阪の学生も、昨日帰国した。
彼は、今回の一時帰国で日本からダナンまで一緒に来た教え子のIさんが泊まったホテルに、短期の旅行で偶然投宿していたのだ。
僕も1泊だけ泊まって、ホテルのスタッフや宿泊の若者たちと話すつもりだったのだが、話は尽きず、結局2泊してしまったのだ(笑)

一緒にダナンの日本式幼稚園も見学し、翌日には朝から僕のクラスを参観してくれ、学生たちと一緒にバインセオを食べ、ボーリングにも行った。
正味2日ぐらいのお付き合いだったのだが、昨日の夕方、わざわざ大学まで「今夜の便で帰国します。ありがとうございました」と挨拶に来てくれたのだ。

夕方のチームNの授業前だったので、僅かな時間立ち話をしただけだったのだが、わざわざ大学の中の僕の部屋まで訪ねて来てくれた、その心意気に驚き、感激したのだった。


昨今、自己主張はできても(と言うか、ワガママ・勘違いは言えても)、相手を気遣い、思いやる気持ち、感謝の気持ちをうまく表現できない若者が多いように感じている。
ベトナムにいると、何も目的意識を持つわけでもなく、計画性もなく日本を飛び出してきた不思議な日本人、それも一度社会に出てドロップアウトしてしまったような若者に遭遇することが多い。

実は、先日のEENAホテルでの宴席でも、そんな?マークが僕の頭の中で全開し、話すのが億劫になってしまった人物がいた。
ベトナムのような、右肩上がりの開発途上国に夢を求めて来るのはかまわないのだけど、もう少し自分の力を発揮する場をきちんと模索しながら動いて欲しいものだと、強く思う。日本で社会人としてうまく動けない人間のままでは、やはりベトナムでも使えない人間なのだと、気付かなければ駄目だ。

この国の人たちだって、日々を一生懸命生きている。お国柄の違いがあるから、一生懸命に見えないかもしれないけれど、ベトナム人もベトナム人のペースで一生懸命なのだ。そして、今のベトナムの価値観を換えていかなければならないと気づき始めている人たちも少なからずいるのだ。そこに自分の身を置いて、何がこの国の役に立てるのか。何が求められているのか。自己の力を客観視して、自己を活かす自助努力が必要なのだと、強く言いたい。
時には、自分を鍛え直すことも必要だ。自分がゆったりできる環境を求めるのではなく、自分で環境を整えていく努力が絶対に必要なのだ。

ベトナム人に決定的に不足しているものは、「自助努力」である。これは、僕の十数年間のベトナムとのお付き合いの中で断言できる。
しかし、そのベトナムで、「自助努力することができない日本人」は、はっきり言って邪魔以外の何者でもないのだ。


日本からダナンに帰ってきて1週間が経った。この間、「何か変だぞ、ベトナムの日本人」と考えていたのだが、、、、、
そんなモヤモヤを、ふたりの若者が拭い去ってくれた。

Mくんは、まだ大学2年生なのだそうだ。「将来の目標が見つからなくて…」とぼやいていたが、まだまだ時間はある。
大学の4年間はモラトリアムのようなものだと、言われていた時代があった。自己の将来を暗中模索しながら、社会で如何に生きるかとはほど遠い環境で学問できた時代が確かに存在した。僕の学部、院生時代は、そんな時代の最後だったのかもしれない。おかげで、僕は10年近い時間を掛けて、学生生活をおくった。そして、あの頃の「学問」が今になって、本当に役に立っている。学生時代、まさか自分がベトナムの大学で、日本語の教壇に立つことになるなんて、思ってもいなかった。でも、「あのころ」の試行錯誤が、自助努力が今を生きる上で大きく影響を与えているのは、紛れもない事実である。今将来が見えなくても、目の前の課題に一生懸命ぶつかればいい。「一点突破、全面展開」である。

大阪の街角で、偶然出会ったEENAホテルのEさんたちに魅せられてダナンまで飛んできてしまったあなたのことだから、きっと残りの大学生活の中で「よし、これで行こう!」と思うものを見つけることができると思う。頑張ってほしい。

「ありがとうございました」ときちんと頭を下げ、がっちり握手して、爽やかに去っていった彼の後ろ姿を眺めながら、そんなことを考えていた。


日本から僕と一緒にダナンまで来た、教え子のIさんは、4月から幼稚園教諭として就職が決まっている。
それもあって「ダナンの日本式幼稚園をぜひ見学したい」とやって来たのだが、ことばが通じない子供たちにもきちんと対応している様子で感心した。幼稚園のスタッフも驚いていた。この様子なら、日本の幼稚園でもしっかり「仕事」をし、熱く生きていくことだろう。


政治もダメ、経済もダメな日本の社会。でも、彼ら、彼女らのような若者がいる限り、まだまだ、日本も捨てたもんじゃない。


Iさんは帰国直後、早速就職先の幼稚園の研修も兼ねて、「卒園遠足?」の引率に出かけたらしい。
Yくんは「Tシャツ、短パン、サンダルで、新潟に帰ります」と言っていたが、、、、冗談だと思ったら、本当に実行したらしい。先ほど、トランジットのソウル・仁川空港にいる彼から、mixiメッセージが届いた。風邪ひくなよ(笑)


ダナンの看護学生たちも、社会に出る一歩手前で「日本の介護を学ぶ」と言う方向にベクトルを向けた。


僕は、彼ら、彼女たちと一緒に悩み、考えながら、日本の、ベトナムの介護・看護の将来を模索していくお手伝いをしたいと思う。

ダナンでの任期、長くなりそうだ。日本のことは、任せたぞ!(笑)


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