がんばろう!〜医療・福祉の現場の仲間へ〜

未曾有の大震災に、言葉もないまま3回目の夜を迎える。

ベトナムにいて、何もできないと言う現実に、思いを伝える、ブログを書くという行為を停止していた。

しかし、今日になって、ひとりの日本人の教え子からメールが届いた。
10年以上前の、予備校での教え子である。もう、何年も連絡が途絶えていた。

「先生、○×ゼミでお世話になったSです。勤務先の病院が、東北への医療救援チームを派遣することになり、私も参加することになりました。」

実は、今回のことがあってから、ずっと彼女のことを考えていたんだ。日本赤十字の看護専門学校を受験したいと相談してきた彼女に、僕は

「御巣鷹の尾根」に日航機が墜落した大事故の時に出動した日赤の看護学生の手記を見せながら、

「日赤の学校で学ぶと言うことは、何かあった時には、そこに自分が飛び込んで行くってことなんだよ。その覚悟はある?」 と尋ねたのだった。

彼女は僕が手渡した手記を読み、しばらく目を瞑って考え、

「今は、まだわかりません。でも、この学校で学ぶことになったら、きっと学んでいく中でその覚悟ができていくと思います」

と、静かに答えてくれたのだった。

四年制大学にも合格した彼女は、結局日赤の学校には進学しなかったのだけど、保健師の国家試験にも合格して、わりと大きな病院に就職したと聞いていた。そんな彼女からの、突然のメールだった。

「突然のメールで驚いたでしょ?今回の派遣の企画があがったとき、最初に思い出したのは先生の言葉でした。覚えてくれているかなあ?先生、まだ高校生だった私に、「災害派遣に自分から行く覚悟があるのか?」って聞いたんだよ。「何言ってるの?」って、思った(笑)でもね、先生が見せてくれた日赤の看護学生の言葉を見て、ああ、そうか。そうなんだって。ちょっと、受験の意志が揺らいだのを覚えています。でも、昨日の朝、今回の計画が発表されて、先生は今日、この瞬間のために言ってくれたんだって、わかりました」


そうか。僕もキミのことを考えていた。


「真っ先に手を挙げて、すぐにネットで先生の名前を検索したら、あっさりブログとHPがヒットして、アドレスがわかりました。先生、またベトナムにいるんですね。私が高3の時も、授業で熱く語ってたよね。今度は介護を学ぶ学生に日本語を教えてるんだね。EPAでインドネシアやフィリピンの看護師や、介護士のことが話題になり始めた頃から、先生どうしてるかな?まだベトナム人の看護師受験の仕事してるのかしら?と思っていました。」


あ、そうか!ベト看の3期生の受験の時、ベトナム人受験生たちと一緒の授業を受けさせた年の生徒だ!


「まだ余震も続いているし、不安なことも沢山あります。結局大学に合格できたので日赤には行かなかったけど、ちゃんと「覚悟」できましたよ。あの時の先生の熱い思いも一緒に持って、私たちを待っている被災者のみなさんの近くに、一刻も早く行こうと思います。」

「先生のことだから、ベトナムに居て、自分では何もできなくて、イライラしてるんでしょ?目に浮かぶようです。でも先生は、私たちの後輩になって、日本の看護や介護の現場で働く、大切な人材を育てる大事なお仕事をされています。日本のことは私たちが頑張るから、先生は先生のお仕事、頑張ってください。」


うん。わかった。


「出発までもう時間がありません。支離滅裂なメール文章で、このまま送ったら添削されて送り返されそうだけど、どうしても先生に思いを伝えたくて、メールします。それじゃあ、行ってきますね。」


「追伸:先生の教え子ナース、みんな先生の思いを胸に刻んで、頑張っていると思いますよ。日本人も、ベトナム人もね。ベトナムで日本語を勉強している看護学生さんたちに、日本のナースからもエールを送ります!先生の授業、厳しいと思うけど、信じて勉強していたら、いつかきっと感謝するときが来るよって、伝えてください。」


おい!なこと、自分で言えるか!(笑)


日本には、もう何十人という数字では数え切れないくらい大勢の、日本人、ベトナム人の教え子ナースがいる。
もう、誰がどこで、どうしているかは、わからないけれど、

今回の災害には、みんなが心を痛めていることだろう。
自身が被災した人もいることと思う。

でも、今こそ、みんなが力を最大限に発揮するときだ。
被災地で頑張っている人も、後方支援している人も、勤務先で目の前の患者さんを看護している人も、

日本のことは、みんなに任せた。今こそ「陣内組」の心意気を見せて欲しい。


先ほど、EPAによるインドネシアからの看護師、介護士候補者の安否不明というニュースが、ツイッターで流れてきた。
僕が知る限り、ここまで報道されなかったのだが、恐らく無傷とはいかないだろうと、恐れていたことが現実となってしまった。

実は、ダナンの日本語クラスでも、10月に一緒に医療短期大学を卒業した同級生が、仙台の大学に留学していることが判明した。
昨日の朝、情報として日本の状況を話すうちに学生の様子から察知した。

「先生、仙台は大丈夫ですか?海が津波になりましたか?」

留学している友だちと、連絡がつかないという。仙台と聞いて、愕然とした。
絶句した僕の様子から察知したのだろう、心の動揺が手に取るようにわかる。

機転を利かして、予定していた「会話」の試験を中止して、我らが盟友?爆笑ネットワークス?(うちのNPOの若手同盟)のK氏が、勤務先の福祉施設で今回の地震に遭遇し、利用者の安全を確認した後に、たまたま勤務がなくて寮にいたフィリピン人介護士候補者の部屋にすっ飛んで行ったと言うエピソードを、彼のブログと、彼の普段からの言動から多少ふくらませつつ、面白おかしく紹介したのだ。

そして、「Kさんは、おじいさんやおばあさんも、フィリピンの候補者も必死に守ってくれた。みんなが日本に行ったとき、もし何かあったら、S会(ダナンプロジェクトを推進する社会福祉法人)の人たちも、みんなを守ってくれるだろう。僕が日本に居たら、もちろん僕もあなたたちを守る。だから、友だちも、きっと学校や周りの人たちが守ってくれているはずだ。日本を信じて、日本人を信じて、頑張って勉強しよう」と話すと、少し落ち着いた様だった。

K氏は11月にダナンに来ているから、学生たちも覚えている。
その時一緒に来たT氏の病院でも、多くのベトナム人ナースたちが、初体験の大地震に驚き、不安を抱きながらも頑張っているはずだ。


一番動揺していた学生が、授業終了後に泣くので、食事に連れて行って話を聞いてやった。
食事している間も、彼女は何度も電話を仙台の友に掛け続けていた。

すると、なんと電話がつながったのだ。無事が確認できた。

いつもの日本食「K」の店員も、側に居た日本人のお客さんも、拍手と笑顔で喜んでくれた。


彼女と別れ、大学まで戻ってくると、校門の守衛のおじさんが泣きそうな顔で

「先生、日本が大変だけど、頑張ってくれ!」とベトナムで語で言い、握手してくれた。


そう。僕の仕事は、目の前の学生たちを守ることだ。

夕方からの現役看護学生クラスでも、近い未来に日本で働きたいと希望している学生が大勢いる。
自分たちが未体験の「地震」、そして「津波」に驚き、不安がり、ストレスに感じている様子が見て取れる。

この学生たちの心を思いやり、心落ち着けて日本語の学習に集中させることが
今、ベトナムでやるべき僕の仕事だ。


日本のことは、盟友たち、教え子たち、仲間たちに託す。
僕は、ベトナムで、ダナンで僕の仕事に全力で取り組む。

今こそ、日本人の、日本で学んだベトナム人の心意気を、最大限に発揮しようではありませんか。

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